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黒死病
黒死病(こくしびょう 英:Black Death)とは、1346年から1353年にかけてアフロ・ユーラシア大陸でパンデミックを起こした腺ペストの俗称である。「黒死病」という名の由来は、症状が進行すると敗血症による皮膚の出血斑で体が黒ずんで見え、発病から2-3日で死亡してしまったためだと考えられている。
ユーラシアと北アフリカで7500万-2億人が死亡した、人類史上最も死亡者が多いパンデミックとして記録されており、ヨーロッパでは1347年から1351年にかけてピークに達した。腺ペストはペスト菌によって引き起こされる病気で、敗血症ペストや肺ペストをも引き起こす場合がある。
黒死病はペスト第二のパンデミックの始まりとされている。この疫病は宗教的、社会的、経済的な大混乱を引き起こし、ヨーロッパ史に大きな影響を及ぼした。
黒死病の起源については議論が続いている。このパンデミックは中央アジアまたは東アジアが端緒とされているが、欧州地域で最初となる決定的な発現は1347年のクリミア半島だった。クリミアからは、ジェノヴァ共和国の奴隷船に乗って移動したクマネズミに寄生するノミによって運ばれた可能性が最も高く、地中海沿岸を越えて蔓延し、コンスタンティノープル、シチリア島、イタリア半島を経由してアフリカ、西アジア、他の欧州地域へと広がっていった。 上陸後は黒死病の大部分がノミ(これが線ペストを引き起こす)と、肺ペストに可能なエアロゾルを介したヒトからヒトへの感染によって蔓延したという証拠があり、流行感染が非常に速いスピードで内陸に広がったことを説明している。。
黒死病は後期中世ヨーロッパを襲った2番目に大きな自然災害 (一番目は大飢饉 (1315年-1317年))であり、これにより欧州人口の30-60%が死亡したと推定されている。この疫病が、14世紀に世界人口を約4億7500万人から3.5-3.75億人へと減少させた可能性がある。中世後期を通して追加の感染爆発があり、他の要因も相まって、1500年まで欧州の人口は1300年の段階へと回復することがなかった
19世紀初頭までペストの感染爆発が世界中で巻き起こった。